怒りの感情コントロールプログラム2

・私は、必要以上にいらいらすることが多い。
・私は、ときどきいばった態度をとることがある。
・私は、よく気短になり、感情的になるが、すぐ治まる。
・私は、嫌いな人にはやや無礼な態度をとることがある。
・私をからかったりする人にはものすごく腹が立つ。

これらの文章のうち、一つぐらい該当するものがあっても、問題ないでしょう。問題解決を妨げることにはならないと思います。
しかし、二つ、もしくは三つ該当する場合には、怒りの感情をコントロールする、より効果的な方法を学ぶ必要があります。自分のためにも、相手のためにも必要です。
さらに、四つ、ないし、五つの全部が該当する場合には、おそらく、あなたの怒りはコントロールできない状能と考えてまちがいないと思うので、
本章で述べる私のアドバイスをよく検討し、従う方がよろしいと思います。
怒りを爆発させた後の状態に関する研究によりますと、その当事者(怒りを爆発した人)は、怒りを発散させた後の心の状態は、
発散させる前の状態よりも悪くなるということです。
たとえば、いらいら、憂うつ感、腹立たしさ、敵意、神経過敏、みじめな感じなどといった気持ちに満たされるというわけです。
このような研究の結果を振り返り、ある学者は、「怒りの感情を表現することによって、憂うつ感や、いらいらの感情から脱け出せるといった考え方が、
いかに間違っているかを証明する」と述べています。
せっかく素敵な結婚相手をで、見つけても怒りやすかったらすぐ別れてしまうかもしれません。
コントロールの方法を学びましょう。

家事が人一人を必要とするほどの労働とみなされる時代

結婚相手を探している方はで見つかるかもしれません。
でも、いったい、ここに登場する女性や松原さんが言うような結婚や専業主婦としての生活が今時、どれほどあるのだろうか。
夫に「おまえもパートにでも働きに出ろ」と言われたという専業主婦の嘆きを、このごろ、よく聞く。
「おまえを養うのは、もういやだと言うの。私はちゃんと炊事、洗濯、掃除をしっかりこなしているのにヒドイ!」と。
家事が人ひとりを必要とするほどの労働とみなされる時代は終わった。
乳幼児を抱える場合を除いて、家事は、家族の全員がそれぞれ自分でやるべき身の回りの世話にすぎないと考える人が多くなった。
専業主婦が、一日家に居て、マイペースで家事に専念などという生活は、望んでもむずかしい時代になっている。そんな生活を望む人の気がしれないけれど。
私自身の、乏しい経験から言うと、結婚生活は、それ以外の仕事や趣味が充実している場合に限り、おもしろいものになる。
人は、自分の持ついい面も、悪い面も、お金をもらってする仕事の場において、そのすべてを発揮する。
男にしろ、女にしろ、その場を持たないでの生活、また、その場を持っていない相手との生活など、おもしろいはずがないではないか。
松原さんが非難する『クロワッサン』とは七○年代という時代なのではないだろうか。

大学闘争を男とともに戦った女たちが、学校を卒業してどっと就職した時期。アメリカから、ウーマンリブの嵐が上陸した時期。
この時期「男のできることならなんでも、女もできるのだ」という当たり前のことが、初めて大きな声でかたられるようになった。
この潮流のまっただなかで「クロワッサンが取り上げた人たちは、「女になにができるか。どんな生き方ができるか」のサンプルだった。
それは同時に、それまでひとりでは生きられないと思いこまされていた女に、「女もひとりで生きられる。結婚なんかしなくても、ちっとも惨めでなんかない」「結婚だけが生き方じゃない」と伝えるメッセージでもあった。

結婚が目的

専業主婦に満足できず、どこかに不満を持っている妻を「クロワッサン症候群」の妻だというのなら、私なんかさしづめそのものズバリだったと思う。
しかし私が「本当の意味での幸福を持てなかったかもしれない」なんてことは、まったく余計な心配であり、大きなお世話なのである。
こちらは結婚へのスタート地点です→
私は自分で選んでこの道を歩んだと思っているし、現在の生活のどこにも不満を感じずに生きられるほどの人間がデキてはいないことも十分わかっている。
誰だって自分の持っていないものを手に入れたいと思うときがある。独身で結婚にあこがれる人も、専業主婦でキャリアウーマンになりたいと思う人もいるだろう。
けれど今まではそういうことを口に出して言ってはいけなかった。自分で選んでそうなったんだもの、文句言うことないでしょと、世間はピシャリとそのグチを封じてしまっていた。

「『結婚が目的なら、それに全力でむかわなくちゃ。今の会社にいないの。男性社員、何千人もいるでしょ』(中略)
『今の会社にいなかったら、違う会社に勤めにいったらどうなの』結婚が目的ならそうすべきだと私は心から思うからだ」
松原惇子さんは『クロワッサン症候群』のなかでそんなふうに言う。
「『私ね、ずいぶん長い間まわり道をしたけど、私には専業主婦があっていたみたい。
私、自分では能力あるつもりでいたけど、誤解していたのね。私ってキャリアウーマンの器じゃなかったのよ・主婦が私に一番あっているのよ』」
登場する女性にはそんなことも言わせる。

友人の結婚

「クロワッサン症候群」の著者の女友だちで、ニューヨークの秘書学校にも留学したことのある短大出の女性が、
外資系医療メーカーの支社長秘書という職を捨てて、青森出身の高卒の男性と平凡な家庭をつくるべく結婚をすることになったというところからその話は始まる。
花嫁姿は二十代こそふさわしいとか、短大出で留学経験のある女性に高卒のモグラタイプの男性は似つかわしくないとか、露骨には書かれていないが、
著者のホンネは読み手の鼻先までプンプン匂ってくる。自分が高卒の人間と結婚する程度の人間であると認めることは、
短大出の留学経験のある女にとって、それほどまでに屈辱的なことなのだろうか。

相手の経歴を気にしますか?しませんか?探してみましょうこちらから→
友人の結婚にそのような感想しか持てないなんて、この人の人間観ってどうなっているんだろうと思ってしまった。
「もし彼女が二十五歳の時に結婚していたら、今日の花婿より条件的に良い男と一緒になっていたと思うが、今日のような爽やかな気分を持つことはできなかったはずだ。
きっと、傲慢な妻になっていたにちがいない。家があって当然、いい生活をさせてもらって当然、私はキャリア続けたかったのに。
専業主婦に満足できず、どこかに不満をもっている妻になっていたのではないだろうか。
条件的にはいい結婚ができても、本当の意味での幸福をもてなかったかもしれない。ちがった意味のクロワッサン症候群の妻になっていたかもしれない」

怒りのコントロール

ベッティの場合
二年前に離婚。新しい夫トニーがいる。ユーモアを解し、ダンスもうまい遊び上手なのですが、男性に対しては、ことごとに批判的、攻撃的になってしまいます。
怒りの感情をコントロールできるとよいのですが―。

「私はまだ三十八歳なんですけど、もう男はごめんだわ。最初の男のフランクとは十年間結婚していたけど二年前に離婚したわ。
今の男のトニーはナイスガイだけど、他の男たちと一緒の時は、変に男つぶりを見せたがるのね。仲間と同じように振る舞うのよ。
そんな時、ほっぺたをひっぱたいてやりたいと思うわ」
こう語るベッティは魅力的な女性です。ユーモアを解し、ダンスも上手、楽しく遊ぶことも上手です。
彼女はすてきな愛情の関係を営む能力を持っているのですが、残念なことに、彼女の男性に対する批判的、攻撃的態度が邪魔しています。
このベッティのように、男性に対する批判的、攻撃的態度の虜となっている女性が多いのです。なぜ虜になるのでしょうか。
変わることを拒む男に対する怒りの感情にとらわれるからです。
一方では、幼い頃から言い聞かされてきたように、怒りを招く状況に耐えることがいいのだと思いながら、一方では怒りの感情を否定できずに、
フラストレーションを感じ、その結果、男性をいびるような態度をとったりするのです。
本章で提唱する怒りをコントロールするプログラムには、次の四つの目的があります。

(一)、怒りの感情を効果的にコントロールする。
(二)、自分をあわれに感じないようにする。
(三)、問題を、耐えるとか、不平を言う代わりに、解決することによってフラストレーションの度合いを低める。
(四)、自己主張の方法を学ぶことによって、対決の技能を高める。

あなたは自分の怒りの感情をコントロールできますか?で、素敵な結婚相手を見つけて素敵な新婚ライフを楽しんでください。

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扶養について

さきに例としてあげた、社会保障制度が完ぺきだといわれるスエーデンにおける老人の自殺率世界最高という現象が、その典型的なあらわれであるといえましょう。
つまり、家族制度下の人間は、たんに経済的保障さえあれば生存できるといった存在ではなく、彼はすぐれて家族的人間としての多くの要素をもった存在であり、いかなる社会保障も、この家族的性格まで保障することはできない、ということをスエーデンの例は示しているのです。
個人を単位とするはずの現代社会が、家族制度を維持することで内的矛附をかかえているといったのは、この意味でであり、社会保障のもつ限界もそこから発生します。
そして、そのことはまた、私有財産制をとり家族制度を不可欠とする現代の結婚から、扶養義務を除去することは、むしろ非人間的であることを意味しているともいえましょう。
もし、あなたが恋愛向きなら、結婚相談所 比較 ←ここで将来の結婚に向けて経験値を増やしましょう。
さらに、現代社会がいつぽうで家族人的性格をうすめる方向に作用し、家族社会を崩壊にみちびこうとしている現在、結婚・家族制度をまもるべくそれに対抗しつつあるのが、ここにとりあげた扶養という家族の経済的機能であり、次章に明らかにする家族心理であるともいえます。
現代社会が、家族を崩壊にみちびく伽川を強めてゆくにしたがって、あるいは扶養義務が強化され、あるいは家族の結びつきが強洲されるようになってくるのも、つまりはこうした関係があるからだということがわかるでしょう。
憲法改正問題をめぐって、旧家族制度復活の動きがあるといわれますが、それも右のような事情を雄弁にものがたるものであることは、いうまでもありません。
このことは、いまや、家族の経済的機能として、さいごのよりどころとして残される可能性をもつのが、家族相互の扶養義務だけであることを示している、といえるのではないでしょうか。